2016年1月27日水曜日

本屋で平積みされていた「海辺のカフカ」を読みました。初版から何度か買って読んだけど未だによくわかりません。

久しぶりに村上春樹の長編小説「海辺のカフカ」を再読しました。

上下巻セットの難解な長編小説です。その内容のほとんどをすっかり忘れていました。何度か読んだので、カフカ少年が家出して、いろんな場所の一部となりながら、宿命の中でもがきながら、価値観を再構築していく、というようなストーリーは覚えていましたが、細部は完全に忘れていました。おかげで新鮮な気持ちで読書をどっぷり楽しむことができてラッキー。

10回位は再読している本なのに、何度よんでもよくわからない部分があります。死生観、宗教観やギリシア文学のそれを理解していない私には、おそらく一生わからない何かががあります。それでも村上春樹の空気感は好きです。

そもそも、再読のきっかけは出張途中の本屋で偶然平積みされていたから。もし、店員さんがそこに平積んでくれなければ、私はあの日は手に取らなかったし、移動中に一気読みはしなかったはずです。

Amazonも便利で使いますが、やっぱりリアル本屋がでの出会いの魅力は格別です。しかるべき時に、しかるべき本に出会うものです。

読み終えて、初版年度をみてびっくり。
なんと初版は2002年。あれから15年もたっている。しかし、この本のことは15年たっても、まだ解らない。またそのうち、読みたいと思います。

紙の本は終わりが近いと言われますが、デバイスとしての紙の本の価値はまだ優位性があると私個人は考えています。こんなに考えさせられる情報がこんなに詰まった持ち運べるデバイスが、あちこちで売られていて、買って持ち運びながら自分の一部とすることが出来るのですから。

2016年1月19日火曜日

札幌は雪なんかで止まらない。

昨日から札幌に来ています。
記録的大雪とか、記録的高波とか、ニュースが騒がしいです。
札幌でもニュース通り、本当に雪が降っています。

同じ日に東京は雪の影響で電車のダイヤが乱れ駅に入場制限がかかり、ニュースになっていましたが、さすが雪国北海道の大都市はびくともせず通常運行していました。すべてが日常通りで、通常営業です。



この雪の中、さっぽろ雪まつりに向けて自衛隊の皆さんが雪像の土台作りをしていたのには正直びっくりしました。


夜になり、さらに降っても普通に車は走っています。
ごごごごごご・・・・

小さな雪が降り続き、それが道に溜まっていきます。
全く溶けず、ただ積もっていく雪は片栗粉のようです。片栗粉が空から降ってきてどんどん溜まっていく。

今までは雪は水の仲間だと思っていましたが、雪は雪です。
現実に体験して、感覚がガラッと変わりました。

これは大変です。



2016年1月3日日曜日

共同通信社の新年記事と、患者支援のこれから。イノベーションを起こしたい 理 由。

新聞の新年特集記事に掲載いただき、読んだ方からの反応を頂いております。

2016年正月 長崎新聞記事 株式会社PEER佐藤真琴
共同通信社の取材記事は、全国どこの新聞に掲載されるかわからないのですが、どうやら長崎新聞に掲載されたようです。遠くの方からもご意見を頂くことができて、少し前向きな気持になりました。いつも、コレで正しいのかどうか、心の何処かで不安もある小心者の小生です。

トライしたことの価値を評価されるのが若手チャレンジ枠とすると、成果で評価されるのがトップランナー枠です。トップランナー枠で語られるくらいの成果を出し、患者さんと、その日常生活を支えるすべての人を少しずつ幸せに出来るような仕事をしたいのですが、まだまだです。

今年のお正月は、ニュースになることの少ないわたしの仕事について新聞掲載いただいたいい機会なので、なぜトップランナーと言われるくらいのイノベーションを起こしたいと考えるのか、少し書いてみようと思います。

私がこの仕事を始めたきっかけは、看護学校の実習中に白血病の患者さんに出会い、その方から
「死にゆく人が沢山お金を使うと、生きていく人が困る。だからウィッグは買えない。」と言われた事がきっかけです。本気で調べたり、考えたりしましたが、私には患者さんのニーズにあったウィッグの提案ができず、悔しい思いをしました。
看護の教科書には、脱毛の副作用のある患者さんには帽子やウィッグを提案し、その人らしい生活を維持できるように情報提供しましょう、と書かれていましたが、実際にはできない。このギャップを埋めたいと思ったのが最初のきっかけです。

そこから始まり、患者さんとのやりとりや、患者さんを支えようとする看護師はじめ医療チームの皆さん、美容師などの地域の事業者さんを知っていくうちに、このまま商品だけ提供しても根本解決はしないと気づきました。みんな、目の前のケースに必死ですが、それを全体像として捉えていないので、結局明日も、明後日も、来年も、同じように困る患者さんが出てくるし、医療チームや事業者はそれを追いかけて手当てをしているのです。

乳がんだけでも年間7万人以上の患者さんが毎年発生しています。
来年も、再来年も、おそらく同じくらいの数の患者さんが発生します。ということは、根本的にこの10万人弱の人たちが困らないようなインフラを整えないことには、同じように困る人が出てきます。

当初から、今困っている人の今を解決することに注力し、ウィッグを提供できるインフラを整え、製品供給をして、事業化しました。現在、全体の5%にも満たない人数ですが、供給出来るようになりました。

こうして事業をつづけていくうちに、患者さんを支える仕組みの脆弱性に気づきました。患者さんの日常生活を支える仕事は、患者さんを支える人たち、つまり医療チームや事業者の個人の力量にかなりの部分で依存しているのです。いい人にあたればラッキー、そうでなければアンラッキー。医療だったら絶対に許されない質の不安定さが、日常生活部分では当たり前に許されています。
支える側の人的素質である善意や個性に支えられているというのは、非常に不安定であり、これは抜本的にシステム改善が必要だと考えています。本気でやっている人が疲弊して、自己犠牲で潰れていくような現状の仕組みを、ぐっと変えたいのです。

がん診療だけではありません。医療が進歩し、医療とともに生きる人が増えてきました。病気になって医療をうけたときに、新しいその人らしい生活がスムーズに始まり続くような日常生活支援があれば、安心して生きていくことができます。一番大事なことは、その人らしく納得して生き続けていくことです。

そのために、患者さんを支える仕事の抜本改善を目指し、医療現場における日常生活支援タスクを病院外で引き受ける仕事づくりを始めています。今までは看護師が中心に担ってきて、本当は現場でやりたいけれどもやりきれていない支援を、病院の外で事業化していきます。事業化については検討段階ですが、順次公開しながら、周囲のサポーターの皆さんと3倍速で進めていきます。

このイノベーションを通じ、患者さんの生活が豊かになることは勿論ですが、それを支える専門職の仕事をシェアして、皆さんが少し楽になり、結果としてケアのクオリティが上がることが目標です。現場看護師は、貴重な医療資源です。これからさらに専門細分化が進む看護師を支え、これからの医療の質向上に貢献したいと考えています。




2016年1月1日金曜日

煩悩の塊なので、初詣フェスの可能性を考えてみました

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願いします。

今年は袋井市の法多山尊永寺にて年越初詣を体験しました。初詣を体験して、108回鐘の音を聞いても、聞くだけでは煩悩は払拭できないことだけはよくわかりました。この際煩悩を払拭せず、初詣フェス進化系について考えてみました。

まず、初詣体験について。
私たちは23時半ごろ山についたのですが、すでに駐車場は満車、沢山の人が参道を歩いていました。除夜の鐘つきが始まっていて、透き通った寒空に厳かな鐘の音が響き、参道の両脇にそびえ立つ立派な木々の隙間から空を見上げると、そこは神秘的な雰囲気に満ちていました。
わたしはクリスマスと初詣とパワースポット巡りを一緒に楽しめる典型的な日本人なのですが、それでも昔の人がこの山に神様が宿り、そこに近づきたくて寺を立てた気持ちが少しわかる気がしました。

心洗われる良い体験をして、こんなことを思うのも何ですが、この人だかりをUSJやTDRなど楽しませるテーマパークを作るプロが企画したら、どうなるのでしょうか。
門をくぐったところから初詣フェスが始まって、お参りして帰るところまで、ワクワクしてもらうとすると、どうなるのでしょうか。


こちらは2016元旦の法多山尊永寺。

階段は封鎖。警備員の人が遠目から見るとスターウォーズのライトを持っているように見えないこともない、と楽しく考えてみました。普通の警備員の格好をしていました。常識的です。寒いので暖かい防寒コートの上からでもいいので、なにか雰囲気のあるものを羽織ってくれたら、お寺の全景に溶け込み、厳かな雰囲気を盛り上げてくれそうです。




本堂にむかって歩きます。さすが、だれも前の人を押しのけたり暴れたりする人は居ません。自然にゆっくり流れます。
お賽銭を入れてお参りした後、本来は左側に流れて、煩悩の数を数えるコーナーを抜けて、お守りや御札のコーナーへ向かいますが、流れがコントロールされていないので右にも半分くらいの人が流れています。お守りに出会うチャンスを逃す確率1/2になっていました。残念。



門前の出店、門の中と外に2箇所、30メートルくらいの長さで連なっています。
暗闇に赤いのれんが浮かび上がって、お祭りの雰囲気です。

たこやき・お好み焼き・イカ焼き・チョコバナナ・クレープ・あげもの・やきとり・りんごあめ・飴細工・焼きとうもろこし・綿菓子・甘栗、などいつものお店がでていました。

いつもどおりだけど、子どもたちもクールな感じで通り抜けていたのが印象的でした。確かに寒かったし、夜遅かったですが、人が立ち止まらないのは、店舗が今のお客さまのニーズに合っていないのかもしれません。


まとめ
すべてのものが効率的で便利である必要は全く無いと思っています。参拝の待ち時間も、空を見上げる時間も、昔ながらの空気感も、味のある初詣でした。でも、なんとなく、もっと楽しんでもらえそうな気がしたのです。

お寺のビジネスモデルは危機がすぐそこまできていて、今までのように、檀家さんから改修や年忌の度にお金をいただける時代はもうじき終わると、私個人は考えています。母が亡くなり、お寺から、今年は椅子を買うから初盆の家は10万円以上ずつ持ってきて、と言われた時にはびっくりしました。知らなかっただけでしょうけれど、なんて強烈な上下関係システムなんだ、と心底驚きました。これがこの先50年も100年もそのまま続くことはないでしょう。

初詣は、地域のお寺が地域に開放されて、季節を感じて楽しんでもらい、維持運営費を賄うイベントのチャンスです。お寺を残して、維持管理しながら、この厳かな初詣が続いて欲しいと思います。だからこそ、初詣フェスはモデルチェンジをしたほうがいい、と強く強く感じました。

来年もどこかで初詣フェスに参加したいと思います。寒いけど初詣サイコーでした。