2014年12月19日金曜日

仕事は複合技の芸。芸の軸になる技を磨こう。

NHKのプロフェッショナルというドキュメンタリー番組が、狂言師の野村萬斎氏を追いかけていました。狂言師として地位を確立する彼のストイックな姿はもちろん感化されるところがありましたが、一番響いたのは「芸と技は違う、これからですよ。」という人間国宝である実父、野村万作氏の言葉です。
この話から、技を芸にして事業化していくことについて考えてみます。


狂言をやってみないとわからない、やってみてもわからないかもしれない。
野村萬斎氏は狂言師の家に生まれて、4歳で初舞台。そこからずっと狂言に携わってきているのですから、2014年現在で44年間「職業:狂言師」です。狂言の舞台の他にも、Eテレの「にほんごであそぼ」にも出演しています。番組によると、1年間に300公演行い全国を飛び回る生活の中で、夜21時以降に弟子も閉めだして稽古を積み、深夜にランニング。かなりストイックな修行を続けて芸を極めようと生きている姿を描いていました。これだけやっても、わからない、ずっとわからないかもしれない、と話す野村萬斎氏。やってみないとわからない、やった人にしかわからない。狂言の深さが見える人、その人が深みを追い求めて、極めようと追いかけても追いかけても見えないかもしれない、それが芸事のようです。

しっぽが見える狐、だれが狐のしっぽをみたいのか。
番組の中で、父である野村万作氏の「子供の頃からやっていれば技はできるようになる。問題はその先。これからですよ。」という言葉。狂言は猿に始まり狐で終わるそうです。父の万作氏は今年、狐で舞台を卒業しました。約80年間、猿に始まり、狂言の舞台で芸を極め続けて、まだ足りない足りない、と芸を追い求め、最後の舞台では日々観客の目に「しっぽが見える狐」が現れました。観客が見たのは、万作氏ではなく、しっぽが見える狐でした。
万作氏の演技にしっぽを見るのは観客です。舞台で顧客が見たいと願う狐を探して、それがしっぽが見える狐と具体的に設定し、持つ技を総集結し、しっぽが見える狐という芸に行き着いています。そう、顧客のための芸なのです。

技と芸の違い
狐の所作を習得して技術的に演じるのが技、それを観客の目から見た舞台全体を考えて、その舞台を最高のものにするために観客の目にしっぽが見える狐を演じるのは、芸です。
技はテクニカルにその役割をこなしていくこと。プログラムすればロボットが演じられるのが技。技を活かして働きを最大価値化することこそが芸です。

辞書を調べてみると、その違いがよくわかります。技は、ある一定の目的を果たすための手段や方法のことです。それに対して芸は、学問や武術・伝統芸能などの、修練によって身につけた特別の技能・技術や、人前で披露する特別な技のこと。つまり技を身につけて、だれかの期待に応えるような形で提供するものが芸なので、できるだけでは芸にならないのです。


10年後の仕事を創りだすのは、複合技の芸。
10年後のワクワクする仕事は、たぶん今だれも想像していない仕事だと私は考えています。
今から10年前の2004年には、まだiPhoneもありませんでした。初代iPhoneが発表されたのは2007年、iPhone3Gの登場は2008年なので、たった6年の間に世の中にはスマートフォンが浸透し、そのためのインフラが整い、今では多くのアプリによってスマートフォン自体がインフラになりました。スマートフォンは個人のポータブルデバイスだけでなく、レジや事業管理までこなす企業向けのシステムインフラになりました。

こんなに価値が変わる変化の激しい社会で、便利で快適でちょっと気が利くような、人が喜ぶ10年後の仕事を作りだすことは、「複合技」で芸を作るようなものです。仕事は芸に似ています。技を自由に活かして作っていく「複合技の芸」です。単純に1つの技を持ち、それを同じように使っていく仕事は10年以内に消えてしまうかもしれません。

技の使い方が決まっているものは、他の人や他の企業、他の国や他の組織、ひょっとしたらロボットが、あなたに取って代わることができるからです。取って代われないものを目指すなら、顧客の期待に応えて、しっぽが見える狐を目指して芸を磨くのもひとつです。変わり続ける顧客を見ながら、技を組み合わせて、芸のような仕事で価値を提供していくことができます。

揺れ幅のある芸は、人間にしかできない。
顧客のニーズは、社会とともに変わり続けます。その時に、複合技の組み合わせや使い方を柔軟に変えることは、人間にしかできません。顧客の状況に合わせて、芸のコンテンツである「技」の強弱をつけながら、必要とされる形に変わっていく。そんなアメーバーのような柔軟なプログラムを実行できる人間らしさが、ロボットにはできない揺れ幅のある芸です。そんな柔軟さが、顧客ニーズに合わせたこれからの仕事を作り出していくのです。

仕事は、根本に技があって当然の「芸」。
揺れ幅のある芸を構成しているのは、技です。技は、顧客ニーズに具体的に応える手段や方法そのものなので、これはできて当たり前なのです。最後に具体的に顧客ニーズに応えて、役に立ち、お金をいただくのは、これからのも「技」の部分のはずです。
その技が具体的にどのくらい役に立つのか、それが最終的には顧客評価につながります。

野村万作氏のしっぽが見える狐も、初舞台からおそらく80年間くらいの長い間、稽古を重ねて手足のうごきやタイミングなど、磨きつづけた一つ一つの高い品質の技のバランスです。そのバランスを極めて、極めて、観客の目にしっぽが見える狐が生まれているのです。

10年後の仕事のために、今の仕事で丁寧に技を磨く。
仕事は、地味な技磨きと柔軟な芸づくりです。柔軟な芸のクオリティをあげるために、現場で技を磨きつづけることと、顧客のニーズに応える技を増やしていくことが、10年後のワクワクする現場を作る力になるはずです。今はまだ想像もできないような10年後のニーズに応える仕事づくりに今の現場はつながっています。日々の仕事を大事にすることは、変化に対応する体力をつけることになるのです。

2014年12月8日月曜日

がん患者さんは強力なチームを持っている

人は健康なとき、自立してその人らしい人生を歩んでいます。人それぞれ家族や職業、収入、地位、宗教など違いはありますが、大人になれば誰かから「明日坊主にしてこい」と強制されることはありません。ある程度、自由に選んで調整して、自分の心地よい選択をしています。
しかし、病気や診療により、一時的にそれが難しくなることがあります。患者さんの不便はそこから発生しています。

私はずっと患者さんは一時的に弱者になりそうになっている、と思ってきました。自分の自由選択が奪われ、不便が増え、今までの方法が使えなくなる状態にあると思ってきました。

でも、別の方向から考えると、不便なのですが医療チームや周囲のインフォーマルコミュニティ(私的な血縁や気持ちによるつながり)のサポートがぎゅっと集まっている状態とも考えられます。こう考えると、患者さんは強力なサポートチームを持つとも考えられます。

このチームを最大限に活かすために、事業として何ができるのか。
そう考えると、もう一歩踏み込めそうな気がします。

活かしてもらうために、チームのことをもう一回よくイメージしてみよう。
自分たちの持つ技は、どんな力を発揮できるのか。

ターゲットの捉え方を変えると、少し違うアプローチが見えそうです。